昔の荷物を整理していたら、古びたノートが出てきました。
両親が真珠養殖をしていた頃の記録ノートです。

几帳面な数字でびっしりと書き込まれているのは、懐かしい父の字。 稚貝の成長の様子や、養殖場のどの筏のどの場所に、誰が核入れした貝をいくつ下げているのかなど、細かな記録が残されています。

出勤簿の方は母の字です。 核入れや貝の掃除の時期になると、多くの地元の女性たちが手伝いに来てくれていました。

パソコンもインターネットもない時代。 二人はどんな思いで海と向き合っていたのでしょう。
自分たちで記録を取り、分析し、より良い真珠を育てようと試行錯誤の日々だったに違いありません。

真珠養殖の記録が手書きで残された古いノート

年に一度の浜揚げだけが一家の収入源でした。 その時期の張り詰めた空気とひりひりとした緊張感は、子どもだった私も今でも鮮明に覚えています。

当時は同じ集落に真珠養殖を営む家が数多くあり、今の日本を代表する真珠ブランドのバイヤーたちも仕入れに訪れるなど、活気がありました。

しかし、その後、海の力が弱くなり、思うような収穫が望めなくなります。

両親は真珠養殖に区切りをつけ、私たち家族は関西へ移り住みました。 私は中学3年生、妹は小学6年生でした。

父は自分が養殖した真珠で、ネックレスを組み、既製の枠で帯留めやかんざしに仕立てるなどして、商売を始めます。

これが、川辺宝飾のはじまり。

大学卒業後、数年間会社勤めをした私は、父とともにその仕事をすることになります。

当時は店を持たず、ご紹介だけで商売を続けていましたが、ご縁に恵まれ、現在の場所に店を構えることができました。

しかし残念なことに、がんを患っていた父はその店のオープンを見届けることなく亡くなりました。

今年は三十三回忌。 私は父の年齢を追い越しました。
母も90歳を超えるまで元気に暮らしていましたが、3年前、孫たちに見守られながら旅立ちました。

古びたノートをめくっていると、私のものづくりの原点は、あの海と山が迫るような、小さな集落で過ごした子ども時代にあることにあらためて気づかされます。

真珠は、海が育て、人が手をかけ、時間をかけて生まれるもの。
その営みを見つめて育った記憶は、今も私のものづくりの根っこにあります。

KAWABE JEWELRY店内の様子

川辺 誠